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2022年01月21日

稽古の主役と裏方

 今日は尊敬するS会のN先生からバトンを手渡された!?ので、稽古の主役と裏方というテーマで書いてみたいと思います。
 昨年末にS会の方々と会食をさせて頂く機会がありました。
 その際、居合稽古における真剣使用の有用性や必要性を話されるN先生に対して、私自身初めて真剣を用いて稽古した時にその扱いやすさ、抜きやすさに感動したこと。一方で、道具として優れているが故に使い手の未熟を助けてくれる、補ってくれる側面があること。そういう点で、模擬刀などを使って稽古することにも十分意義はあるのでは。といった話をさせていただきました。
 釈迦に説法とはこのことで、ああ…飲みの席の事とはいえ、つい口を滑らせてしまったなぁ…失礼極まりないよなぁ~と帰りの道すがら後悔するも後の祭りで…
 と思っていたら、先日N先生がこの話題をご自身のブログで取り上げてくださいました。
 私の拙い言葉から、その真意を汲み取ってくださっている本当にありがたい内容でしたが、私が舌足らずだった部分もあらためて感じました。
 それは稽古の主役と裏方についてです。

 稽古の主役はなにか?
 というのはN先生の問いです。
 私はこれに対して、やや逆説的な物言いになりますが、自身の稽古だからこそ主役は剣になり、自身は裏方になる必要があると考えています。
 主役の剣を活かし輝かすために、自身は裏方としての仕事や奉仕に徹すること。
 真剣であれ、模擬刀であれ、木刀、杖などの道具を用いるのであれば、道具が主役。
 相手が居るのであれば、相手が主役ということになります。
 そこにおいて主役の違いは問題とはなりません。
 主役がその能力を十全に発揮する陰には、それを支える裏方の過不足のない仕事や無私の奉仕があるはずです。
 その時の主役の輝きは、鏡に映った裏方のそれでもあって、そこには主役も裏方もなく、ただ輝きだけがある。
 武術で言えばこうした稽古の積み重ねが、我を消し、そうして浮かび上がる自分と出会い直し、更には道具や相手と一体になるような感覚を育むことにつながっていくと感じています。

 かつて古人は、腰に帯びた刀の美しさ、勁さに見合う人になる。といった想いをもって稽古したという話をどこかで聞いたか読んだかした気がします。
 そこには祈りにも似た何かが感じられて感銘を受けますし、武術を稽古する魅力もそこに集約されていると感じています。

 今回N先生のブログに触発されて再確認できた想いを書かせていただきました。
 ありがとうございました。

 お猴


14:41
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